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 今僕の住まいは東京、隣国の首都、隣国の僻地と3箇所にあります。
いずれも僕の財産というわけではなく、
荷物を置いていて、寝させてもらえることができるだけのスペースですが。
どこのスペースにもCD、レコードが積んであり
いつかそれらをどこかに集合させたいのですが運送費考えただけでも頭が痛いほどです。

 いつからこんなに集めるようになったのか?
今やタバコの箱に満たない大きさでそれらを無形で収納、再生する事ができ、いずれはそんな箱に入っていないと聞けなくなるのでは?と心配になって来ている世の中です。
(生きているうちはまだ聞くことができるだろうと高をくくっていますがどうでしょう。)
なのに未だにダウンロードという方式の音楽を手に入れる方法に抵抗を感じ
あいも変わらずCD、レコードを買い求める理由を紐解く為に
僕式音楽の旅,ら少し遡ってみたいと思います。

(今回は文字だけ。読む人いるのか?)

 僕がレコードを自分で集めるキッカケになったのは、今日のニュース(22面ギネス登録)でもありましたが、サンタナのジャケットに魅せられたことが始まりです。
横尾忠則氏デザインのそれを最初に目にしたのは中学2年の美術の教科書でした。
教科書にはそのほかにもハービー・ハンコックのヘッドハンター
Wes MontgomeryのRoad Songも載っていたと記憶しています。
ただその中でもサンタナの曼荼羅のようなジャケットが特に目を引きました。
そしてそれらは前述にある叔父さんの箱の中にあったのです。
ただしジャズに関しても前にも触れましたが“オッサンの聞くもの”という既成概念で気に入ったジャケットを棚にズラズラ並べることはするものの一切それを聞くことはありませんでした。(サンタナはロックだけれど一緒に渡されたのでジャズだと思っていた。)
 即ちレコード=絵画のような感覚で取り扱っていたのだと思うのです。

 では実際は何を聞いていたかといえばその中学生のはじめの頃といえば
先日も記述したようにマッシュルームカットとテクノカット、
ビートルズとYMOでした。
 ビートルズに関して言えば親の持ち物だったのでたまにプレイヤーに乗っける程度でした。小学校の授業でオブラディ・オブラダを日本語で歌っているのが不思議なほどなじんでしまっていたので、音楽を聴くと身構えるよりもレコードプレーヤーを回して遊ぶという感覚に近かったと思います。
 聞くというのを意識していたのはYMOの方で、ライディーンなんかはハイスクールララバイと一緒に幼稚園の頃からそれで踊っていました。アーチストが誰とか意識してないうちから同じ音楽としてこの二つは存在していました。年齢が大きくなるに連れてCUEや千のナイフ、マッドマンなどを好んで聞くようになり、中学に入るか入らない頃には「増殖」ばっかり聞くようになり、家族の誰かがトイレを使用中で入れない時にはドアをノックしながら
「警察だぁ」「なぁ〜に〜」
とトイレの前で独り劇場をやっていた位好きでした。

 そんなYMOでしたが自分で買った盤は1枚も無く全部従兄のものを「借り」ていたものでした。自分自身はすっかり貰ったものだとばかり勘違いしていたのですが、ある日突然招集令状が来ました。
 その頃はすっかり先日の理由(本当はリンク貼りたくないんだけれど意味のわからない人の為に)でガレージ、パンク、グランジ(その頃はそういう言葉は無かった)にすっかり嵌っていたのですんなりYMOは謙譲してしまったのですが。

 ただパンクでもガレ−ジでも共通していたのはジャケットが面白い、格好いいことが条件だったのです。たとえばピストルズのように文字を切り張りしたようなもとか。

 この時代は全く友達と音楽に関しての交流はありませんでした。
かといって友達がいなかったかというと今よりも全然多く殆どがサッカー部繋がりとかだったので、そういう話をしなくとも何も困らなかったのです。
 何故音楽で交流ができなかったのか、その頃友達もしくは世間が主流と呼んでいたものを僕が素通りしてしまっていたか。じゃぁその頃の主流って?

 僕の大尊敬のブロガーでありますオランダの薔薇さんがその時代の背景を書いてくれていますので、以下引用させてもらいます。
(コメント欄、トラックバックがないので事後報告で大変すみません。迷惑でしたら消しますので申してください。)

http://hollandrose.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_3.html

スターのいない、生まれない停滞期だ”という表現は、“はつぴぃ系”ならそうですけど反論喰らうでしょうね。
GLAYの元ネタであるBOΦWYはどうなんだ!リンドバーグ、ジュディ・アンド・マリー、ヒステリック・ブルーの元ネタであるREBECCAはどうなんだ!プリンセス・プリンセスは?尾崎豊は?ジャニーズ系は?
70年代以降に生まれた日本人なら、このような人たちを“ソラ”で歌えなければいけないそうですよん。
(私たちの周りのブロガーさんで70年代以降に生まれた方で、ここら辺を語る人が居ないのは不思議です。)


 一応以前オランダの薔薇さんからコメントを頂いた者ということで
“70年代以降に生まれた周りのブロガーさん”にあつかましくも加えていただいたとして語るとすれば、
僕自身は全く上記のバンド、音楽を聴かなかったわけではなく、(むしろ嫌でも耳にしない生活の方が難しい。)
買わなかった、聞き込まなかったのです。
(今でもサビぐらいは歌えます。リンダリンダ〜とか。俺は高木ブーだ〜とか。あ、上に上がっていない!)

 その理由は冒頭にもありますジャケットに理由があると僕自身の場合は思っています。
兎に角この時代のこれらのバンドのジャケットはダサい。
特に顔ジャケ系は最悪でした。(顔が悪いのではなくて、発想が無いとういう意味で。)
字体も字の色もダサすぎたのだと思います。
ビジュアル系なんていうののはしりの時代だったんだろうに、
僕にとっては全くビジュアル的によくないと思っていたのです。
この辺は思いっきり個人的な主観なので多くを語れないのですが
ジャズの洗練されたモダンなジャケット、
YMOのSolid State Survivor、増殖などのアートワークと比べ物にならないくらいダサいと思っていました。
絵として並べられない。(大体部屋の壁中に顔ジャケっていうのは、かっこいい悪いの前に怖い。今なら面白空間としてギャグでやりたいけれど。)
だから先日からの信藤三雄氏と三浦憲治氏の対談には頷いてばかりです。

ですから僕の場合は歌、音楽、歌詞というメインの以外の理由で
そのメインストリームから偶然外れてしまっていたのです。

そしてまたまた引用させてもらうと

“私がこの2ヶ月パーフリのことを勉強させて頂いて感じたことは、日本の音楽シーンは“パーフリ以前と以後に分かれる”と言われますが、では何を残したの?と思います。”

僕がハッキリと判るのはアートワークが変わったということです。終いにはジャケットはいいのに!というものが氾濫しているような気がするくらいです。この背景には手間が掛からず素人でもできちゃう便利な道具が増えたこと、情報がビジュアルに素早く受け取れること、若しくはDLなどオンラインでの音楽購入への反抗等が挙げられると思います。


そしてこのジャケットの話と先日のレコードショップのオススメの1枚の話が
実は非常に僕にとっては重要に幸運に絡まってくる事になるのでした。


続きます。(きっと展開バレバレだけど。)


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comment

引き続きありがとうございます!!

今は“はっぴいえんど”のコーナーなんてあるんですか!
うわぁ。いいなぁ。

そして最強彼女さん素晴らしいですね。
それこそ身近に全くいなそうな存在の方ですね。羨ましい。

僕は書いてくださっている様な、その後の活躍があって、でも探しても無くって…再燃!、みたいな展開をTFGでもどこかで期待していたんですけど、もしかしてもう来ちゃっているんですかね。浦島太郎状態で最早日本の動きが全く読めません。
只雰囲気が少し80年代に似ているような気がします。



>同じ年の誼で・・・
さて困りました。
こんだけ上にダサかったと書いていながら
果たして由来を聞いてもいいものでしょうか。
殴られそうな気もしますが。。。

なんてったってロックンロール生存者ですからねぇ。
実はあの阿弥陀くじ模様のギターも受け付けられないのです。なんて事書くと余計聞きづらくなりますね。

この際思い切って単刀直入に聞いてみま

せん。


ごめんなさい。
トップガンのテーマでガッツポーズの人とはちょっと無理です。
すみません。

  • kumoQue
  • 2006/08/22 9:35 PM

>ところではつぴぃえんどは前から今日程の評価があったのでしょうか?
今日程の評価って、私は良く判らないんですよね。
ホントに評価ってあるんですかね。
どういう人に評価されているんでしょう?
私の方が聞きたいです。

>80年代とかにどれほどの人が聞き続けていていたのかなぁと、
殆んど居ないでしょう(笑)。
当時細野・大瀧・松本が本当に売れたので、その元々のグループで有名になってきたと思います。
だからと言って、ちゃんと“風街ろまん”とか当時のSMS盤で購入した人って、居ないんじゃないですか?
はつぴぃえんどって、町のレコード屋で売ってなかったですよ。だから、私初めて秋葉原ってところ行って、“石丸”で購入したんですから・・・しかも今のように“はっぴいえんど”のコーナーなんてなかったし・・・
90年代になって“はっぴいえんど”のコーナーが出来たときなど、すごく不思議でした。

だいたい身近にファンなんて居なかったし、実は大瀧さんの話をできた人自体、焼津半次くんで人生二人目ですから(爆笑)。
ネット以前の実生活では、大学時代の彼女だけ・・・(苦笑)。どうして付き合うようになったか判るでしょ(笑)。大瀧さんの話ができたから・・・その彼女は“ゴー!ゴー!ナイアガラ”にハガキ送っていたというツワモノでした(笑)。
ネットやっていても、私のレベルからでは、はつぴぃえんどで実のある内容を書いている人なんか居なくて、“オッ!”と思ったのが当時のnov46さんでした(爆笑)。だから、本格的にはつぴぃえんどの話ができたのは、nov46さんが最初なの!
ホント、東京で“東京ヤクルトスワローズ”のファンを探すようなもんですよん(大爆笑)。

>あのギターリストの人面白そうですね。HNの由来、是非聞いてみたいです。
確か、kumoQueさんと同じ年ですよん。
それとなく探りを入れて下さいませんか?
同じ年の誼で・・・

  • オランダの薔薇アゲイン
  • 2006/08/22 7:51 PM

“声が聴けるブロマイド”!!
上手い事言っておられますね〜。またそういうフレーズがパッと引き出されるのは本当に凄いです!
ところではつぴぃえんどは前から今日程の評価があったのでしょうか?それともやはりその後の活躍で再クローズアップされての今の評価なのでしょうか? 80年代とかにどれほどの人が聞き続けていていたのかなぁと、ふと思いまして。僕らの世代はCD化される前に耳にすることができた人はかなり少なかったのではないかと思います。僕はラジオをテープで録ったものを繰り返し聞いてたぐらいです。またCD化されて僕がワーワー騒いでも、その頃の周りは知らないという人ばかりでした。
そして僕が思うのはTGFを15年で再評価するのは少し早過ぎな気がしないでもないのです。(なんて事言っている間に時代にお置いて行かれてしまうのですが…。)
またTGFが最後まで日本語で歌わなかったらきっと今の評価は半減していたんじゃないかなぁと別のことも思っていたりします。
あと全然関係ないですが、あのギターリストの人面白そうですね。HNの由来、是非聞いてみたいです。

  • kumoQue
  • 2006/08/22 3:32 AM

照れるやん(汗)。
ジャケについて、一言。
細野さんの“OMNI SOUND”という本の238頁に“声が聴けるブロマイド”という表現があります。
J−POPの殆んどがそうかも知れません。
あと、私はアンチ・パーフリではないです。
ただ、ゴールデンタイムのクイズ番組で「彼らの代表曲を5つ挙げろ」なんて問題が作られることがないのが、口惜しいのです。










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